RiKO* LOG「アロハ的ゆたかな暮らし」。
2005年11月から始めて、
細々とではありますが
気がつけば11年目に入っていました。
結婚&ハワイ島移住という
おそらく、人生の最大の転換機を
このブログとともに過ごしました。
私の成長の記録でもあり
とても思い入れがあります。
が、このたび
新しいブログに引っ越すことにしました。
ハワイ島生活まる10年、
私の人生も新たな局面に入ったり
大切な人との突然のお別れがあったり…
このタイミングで
いくつもの節目が重なりました。
それで、
これから思いを新たに
生きていくと決めたんです。
それでも、このブログには愛着があって
ずいぶん迷いました。
が、気持ちのギャップを
見て見ぬ振りはできず、
手放すことにしました。
実は、新しいブログ
は、少し前から始めています。
体裁はこれから整えていくところですが
ここできちんとご紹介させていただいて
区切りをつけようと思います。
これまでRiKO* LOGを
ご覧下さったみなさま、
本当にありがとうございました。
なお、このブログは
当分のあいだ、残しておきます。
これは!という記事は
新ブログに再掲していく予定です。
RiKO Log+もご愛読いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします!
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「今日から使える!
夢を叶え、フィットした暮らしを手にする秘訣」
***********************
さて、6月と7月に開催するリトリート
『人生のとびらを開くハワイ 癒しと内なる旅の6日間』は、
いずれも期間中に満月を迎えます。
特に6月日程は、
太陽のエネルギーが最も高まるといわれる夏至とも重なります。
スペシャルなエネルギーのもと、
ハワイ島でご自分を見つめる時間をとってみませんか?
究極の癒しであるドルフィンスイムもできますよ♪
6月リトリートの早割は今月末までです。
と同時に実は、もう一つ別の
「ほっ」がありまして。。。
私がうまれたとき、
祖父母が雛人形を贈ってくれました。
でも、それを飾ってもらったのは
多分ほんの数回…
少なくとも物心ついてからは。
というのも、自分で言うのもなんですが
けっこう立派な代物で
たくさんのお人形や小物を飾るのは
ちょっと大変。
それを仕舞うのは
もっと大変。
飾る場所もとるし。
…ということで、
「今年はパス」に始まり
翌年もパス、その翌年も、、、
と。
大人になってからは
何度か自分で飾りましたが(笑)
それでも回数はしれてます。
はっきり言って
宝の持ち腐れ、でした(悲)。
それが!
いとこん家に女の子が生まれて…
そう、写真のお雛さんこそ
私の実家で長年ねむっていた
あの雛人形です。
古くて申し訳ないけど、
贈ってくれた祖父母は
いとこにとっても祖父母。
ゆかりのある人に受け継いでもらえて
こんなに嬉しいことはありません。
七段飾りの立派なお雛さん。
これを贈ってくれた祖父母の愛情を
今になって、ひしひしと感じます。
いとこ夫婦と叔母がこれを飾る際、
お人形や小物たちが一つひとつ丁寧に包まれて、
完璧にきっちりと箱に収められていた!
と私の几帳面さに驚いてくれたそうですが、、、
私は母がやっていた通りにしただけです。
そういうものだと思って。
母はきっと、娘のために
自分の両親が贈ってくれたこのお雛さんを、
娘のためにも両親のためにも
大切に、大切に仕舞ってくれたのでしょう。
それために、飾るのがたいそうになり
返って御座に出る機会がありませんでしたが、
それも愛情ゆえ。
最近よく思います。
これまでの人生、
一体どれほどの愛を注がれてきたことか。
どれだけ多くを受け取ってきたことか。
「入り」と「出」のバランス、
取れてないんじゃない?
受け取ったら次の人へと渡していかないと。
そんな風に感じていたところでした。
なので、写真が届いたときの
もう一つの「ほっ」は
いとこ一家に喜んでもらえて
ようやく一つ次におくれてよかった!
そして
宝の持ち腐れから今や
本当の「お宝」に復活したお雛さんに
祖父母も喜んでくれるはず!
の「ほっ」でした。
有形・無形にかかわらず
受け取ったエネルギーは回していかなくちゃ。
だって、ため込んだらメタボになってしまう…!
もしくは便秘!?
だから。
これから、もっともっと!
お知らせ
『人生の扉を開く 癒しと内なる旅 6日間 in ハワイ島』
「このままでいいのかな?」
「何かちょっと違う…」
という思いが実は心のどこかにある…というあなたへ。
ここらでスッキリとさせませんか?
ゆったりと時間の流れるハワイ島で過ごす
とっておきのリトリートです。
ヨガマスターDavidのヨガと瞑想、
ヘルシーフードで
ココロとカラダの両面を整えて、
ライフコーチ歴10年のわたくしRiKOの
個人セッション、グループセッションなどなど
《本当のあなた》に深くアクセスするための
最高の環境をご用意しました。
しっくりと、あなたにフィットする
新しい生き方しましょ!
詳細はこちらをご覧ください。
ユリコ・ジョンソンのライフコーチング
しばらく新規クライアントさまを
お受けしておりませんでしたが
思うところあって
(またブログにでも綴りたいと思っています)
受付を再開いたします。
キラキラと内側から豊かに!
自分をちゃんと愛してあげて、「自分の人生」を生きましょう。
詳しくは下記をご覧ください。
↓ ↓ ↓
ユリコ・ジョンソンのライフコーチング
余命「1年」とか「半年」ほど切実ではないかもしれませんが、
その分、あまり考えたことのない年数ではないでしょうか。
実は、
私がメンターと慕っていた方が急逝されました。
「生徒」として何かを受講したわけではありませんが
生きていくうえでの大切なことを
たくさん学ばせていただきました。
突然の訃報を、それなりに冷静に受け止めたつもりでしたが
時とともにジワジワと効いてきて…
この一週間は、よく訳のわからないうちに過ぎてしまいました。
それなりに落ち着いてきたところで、
ようやくこうして文章を書けるようになりました。
冒頭の問いは、
ひと回り程度しか歳の違わないその方が
最後に残してくれた課題だと
今は思ってます。
ずいぶんお若い旅立ちでした。
誰にでも、そういうことがあり得るんだと
ハッとさせられました。
人生は短距離走のように突っ走るわけにはいきません。
マラソンのように、
ペース配分もあれば
状況によって何を優先するかも変わってきます。
しかも、実のことろゴールがどれくらい先か、
誰にもわからない。
42.195kmのつもりで走り始めても
それより早く終わることになるかもしれないし、
ゴールテープはもっと先に移動するかもしれないのが人生。
なので、
うまく帳尻が合う人生は稀かもしれません。
それでも、
「完璧」はないにしても
後悔しない生き方をしなくては!
と、強く思います。
余命1年だったら…
3年だったら…
5年だったら…
10年だったら…
15年だったら…
あなたは、どう生きますか?
やり遂げておきたいことは、なんですか?
10年だけでなく、
スパンを変えて想定してみることで
より「自分のこと」がわかります。
一度、思いを巡らせてみてはどうでしょうか。。
お知らせ
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「このままでいいのかな?」
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]]>
昨日久しぶりにデイヴィッドのクラスに参加してきました。
スタジオのホワイトボードに、誰が書いてくれたのか
こんな言葉が…。
「愛は在り方の状態です。
愛はあなたの外ではなく、
あなたの内の奥深いところにあります。
愛を失うことは決してないし、
愛があなたから去ることもできません。
誰かの身体に依存するものでも、
他の外的な何ものでもないのです。
エックハルト・トール」
つい、カチンと頭にきたり
イライラしてしまうこともありますが
それも在り方の状態。
愛もその中の一つ。
愛はいつでも私の内にあって、私ととともにいてくれる。
私の在り方次第で、いつでもそこにいてくれる。
そう思いながらヨガをしていると
とてもとても、癒され、満たされるのでした。
人間だから醜い部分もあって当たり前。
そういう不完全さが人の愛嬌だと思うのです。
愛おしい部分だと思うのです。
だから、醜い部分も受け入れてあげて。
そうでないと奥深くにたたずんでいる愛が
なかなか表に出て来れないでしょう。
忙しい日常だけれども、ほんの少し時間をとって
愛っていう状態を思い出し、
そこに必ず存在することを確認できるといいですね。
]]>突然、母が出てきました。
長らく病んでいた母が
まるで何事もなかったかのように
若くはつらつとした姿で戻ってきたので
思わず夢を見ながら泣いてしまいました。
うれし泣きする自分に
私って、こんなに母の回復を願っていたんだ、
元気になってくれたら、こんなに嬉しいんだ、
と、また涙。
しかし感激してる間に
徐々に意識もしっかりしてきて、
現実とつじつまが合わないことに気づき…
あぁ、これは夢だったんだと
今度は残念な涙。
この涙は母を愛していた証だと思うと
さらに涙。
このところよく思うのは
親が悲しむような生き方はしちゃいけないなと。
もちろん私の人生だから
私の価値観で
私の納得いくように生きればいいのだけど
モラルや人としてどうか、どういう部分で
親が教えてくれたことは尊重したくなるのです。
落ち込んだり嫌なことがあっても
私のこんな様子を見るのは辛いだろうから
気持ち切り替えよう、という気になるのです。
親って大きな存在だとかみしめるこの頃です。
無理な話でしょうけど
十代の頃からこんな風に思えてたら
両親はもっと喜んでくれたでしょうね(笑)。
朝から四度泣きして、スッキリ。
さぁ、今日もいい日となりますように。
バケーション/リトリートハウスIPU HALE素敵です☆
ハワイの自然と一体になれて、
ハワイでの暮らしを満喫できる場所です。
海からちょっと上がった高台にあるハウス。
玄関を開けるとさらに夢の世界〜広々とした空間、
目の前に広がる青い空と青い海。
もちろんサンセットも素敵。
オーナーさんのクォリティ高い趣味が
お部屋のあちこちに散りばめられていて。
コアの木をふんだんに使った玄関まわり、
シャワールームとの仕切りはグラスブロックで
うまく目隠しにもなり、
なんとも温かみあるオシャレな雰囲気。
深い蒼色のキッチンで料理し、
オーシャンビューなバルコニーで食べる朝。
小鳥の鳴き声と視界に入る景色。
オーナーさん、旦那さまはアイアンガーヨガのマスターで、
レッスンを受けさせていただき、これまた貴重な体験。
気持ちよく体も心も緩んで解放〜。
奥さまの奏でる音叉は天使の波動で、さらに心地よく。
奥さまは、ちょっとした会話に癒されてしまうような
柔らかく温かみのある方で。
ライフコーチをされていて、
わたしのライフスタイルである宇宙の法則、
その中の引き寄せの法則のコツを
分かりやすくお話してくださるという機会を
作っていただきました。
4日間という短くても濃い濃い輝ける日々を過ごせたのは、
拠点であるIPU HALEとオーナーご夫妻の素晴らしさのおかげです。
ホテルよりもハワイ密着さが良かったコンドミニアム、
それよりも温かさあるIPU HALE☆☆でした。
またぜひぜひ機会作って訪れたいです(*^^*)
ありがとうございました。
(工藤圭子さま)
私たちが何より嬉しいのは、このように
滞在中の「体験」を深めるような関わりをさせてもらったこと。
短い滞在にもかかわらず、お互いにラポール(信頼)を築けて
深いところでコミュニケーションできるって
やはり、ご縁なのかと思います。
IPU HALEをやっていて本当によかった!と思う瞬間です。
ところで、コメントの中にあった
「コアの木をふんだんに使った玄関まわり」とは
こちらのことです。
コアとはハワイ固有の木で、木目がとても美しい輝きを放ちます。
落ち着いた豪華さがあり、今では高価で希少な
贅沢な資材とされています。
それから「深い蒼色のキッチン」はこちら。
このキッチンでササッと朝食程度を作る方から
しっかりマクロビオティックな調理をする方もあります。
そして「オーシャンビューなバルコニー」というのがこちら。
夕方には、ここからこんなサンセットも…
手前味噌ではありますが、
IPU HALEはハワイ島のなかでも
とても恵まれたロケーション。
開放的かつ落ち着いた内装の、ほっとできる空間です。
せっかくなので私たちだけで使うより
多くの方とこの恩恵をシェアできればと始めたIPU HALEです。
ぜひご利用くださいね!
*施設の詳細はこちら
バケーション/リトリートハウスIPU HALE
*このIPU HALEにて7月および9月にリトリートを開催!
日本のそれとは随分違うハワイ島ライフを楽しみながら
心身を整える、気づきと覚醒のアドベンチャー。
ココロとカラダのリラックス&デトックス6日間 in ハワイ島
送迎付きで、運転に自信のない方や
ハワイ島が初めてという方にもオススメです。
お申し込み『早割』は4月30日まで
彼女はこれまでハワイ島を何度も訪れて
そのお人柄でこちらに友達も多く、
みな彼女が帰って来るのを待ってる素敵な女性。
そんな彼女に、とっても大切なことを思い出させてもらったので
ここでシェアします♪
今回は、久々に彼女に髪を切ってもらっただけではなく
お願いして、ヘアカットの基本まで伝授してもらいました!
実は何を隠そう、いつもデイヴィッドの髪を切るのは私。
(あー、言っちゃった;;)
同じく自分でご主人やお子さんの髪を切ってる友人と一緒に
Akikoさんがデイヴィッドの髪を切るところを
見学させてもらいました。
で、色々教えてもらいましたが、要点は
1.イメージと感覚から、 最終的な仕上がりを
アタマの中で絵にする。
2.その絵に応じた理論とテクニックを使って切る。
と、言われてみれば至極当たり前のことでした!
でも(弁解ではありませんが;;)
人間、その当たり前のことが案外できてないものです。
私は、出来上がりのヘアスタイルを思うどころか
ただただ「何とか形になって〜!」と
後先考えず、とにかく手の付けやすそうなところから
デタラメにハサミを入れてました。
これじゃぁ出来上がるヘアスタイルも、
デタラメにしかならないはず(恥)。
(ごめんねー、デイヴィッド!)
大事なのはヘアカットのみならず、何事も
1.目指すゴール(意図)を明確にする
2.それに応じた理論とテクニックを用いる
これが出来ているかどうかで結果は大きく変わるということです。
しかし。
しかし、ですよ?
私は出来上がりの髪型のディテールまでは
イメージしようにも、できなかったのです。
たとえば、
髪が全体に伸びて重い感じだから軽い印象にしたい
とは思っても、「軽い印象」って表現自体が
ものすごく曖昧。
私のぼんやりした「軽い印象」を具体的に
前髪はどうで、サイドはああして、襟足はこう、
と明確な言葉にに変換できてなかったのです。
仮にそれができたとしても
ヘアカットの知識も技術もない私に
「軽い印象」を作れる訳がないのでした。
そんな私の曖昧な「軽い印象」を
具体化して引き出す手助けをしてくれたのがAkikoさんでした。
そして、カットのコツやその背景にある考え方も
教えてくれたのです。
もう、目からウロコがぼろぼろ落ちました!
これで次回からデイヴィッドの髪型、グンと良くなるはず!
今度切るのがとっても楽しみです (^_^)
それからもう一つ、Akikoさんが大切にしているのが
その人の髪の性質や自然な生え方を生かす、
ということ。
髪がどちらに向かって伸びたいのか
まるで髪に問いかけるように見極めて
それに応じた切り方をする。
その人の持ち味を生かして、その人らしく輝くお手伝いをしている私としては
とてもとても、共感するところがありました。
*Akikoさんにスタイリングして欲しいという方、
最後にもう一度、今回思い出させてもらったことをまとめると;
1.どんなことも意図とイメージを明確にすることが大事。
(それをするかしないかで、結果は大きく変わる。)
2.それが出来ない時はプロに助けてもらう!
(これが確実かつ近道。)
ですね。
Akikoさん、ほんとにありがとう。
*ちなみに、
<このままでいいのかな?と漠然とした疑問や不安があるが
何をどうすればいいのかわからないという方>
その漠然としたものを具体的に引き出すお手伝いが出来るかも知れません。
漠然→クリアにならなければ、最初の一歩も踏み出せないまま
いつまでもそのモヤモヤに留まることになります。
<夢や願望がなかなか上手く叶わないという方>
引き寄せや願望実現にもコツがあります。
理にかなったやり方で、在り方(メンタリティ)と
行動の両面を見てみてはどうですか。
お役に立てれば幸いです。
↓↓↓
ユリコ・ジョンソンのライフコーチング
原野のなか、舗装はされていないものの
ちゃんと道がついているのが気になりました。
「この道は誰が作ったのですか?」
とガイドさんに尋ねると
「ウラン採掘のために鉱山会社が作ったんだ」
との答。
聞けばこの辺りはウランの埋蔵量が多く、
核兵器と原子力エネルギー開発のために
ここから盛んに採掘されたのだとか。
ガイドさんはこの程度しか話さなかったけれど
後から調べてみると、非常に深刻な問題だとわかりました。
というのも、ウランの危険性をまったく知らされずに
多くのナバホの人たちが鉱山で働き
被爆していたのです。
ここからお借りした下の地図で赤い点が
ナバホネイション内のウランの廃坑です。
モニュメントバレーにも赤い点が集中しています。
1944年から40年強の間、ここでウランが採掘され
放射線に汚染された土や廃棄物は今もむき出しのまま。
彼らは汚染された水を飲み、
汚染された土地の汚染された草で育った羊を食べ、
汚染された土で家を建て、
何重にも被爆しました。
かつて癌の罹患率の低かったナバホネイションで
1970年代初頭から1990年代後半には
癌による死亡率はアメリカ全体の2倍にまで至りました。
それでも経済的余裕のない彼らは、他に住む場所もなく
ここに留まって被爆に苦しんでいます。
過去に入植者との間に起こった悲劇に加え
今なおこのような現実があることに 胸が痛みます。
このことはアメリカでも長らく報道されてこなかったようですが
ネットで検索すると日本語でも色んな情報が出ています。
また、こちらは2006年のロサンゼルスタイムの特集記事で
とても丁寧に書かれてます。
長文ですが比較的平易な英文なので
興味のある方はぜひ読んでみてください。
近年になってようやくアメリカ政府も
汚染状況を調査したり、
新鮮な水を配るなどしているようですが
まだまだ十分な環境改善とはいえません。
私自身、何も知らずに個人的な満足感に浸っていたこと、
恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちです。
一日も早く安心して暮らせる場所に戻ることを
切に願います。
彼の作品に描かれたのと同じ遺跡です。
今はファームを息子さんに譲り、
日本を拠点とされているまゆみさんですが、
先日偶然にもファーマーズマーケットで嬉しい再会。
昨夜も沢山の人が集まって、彼女の人徳と
これまでの活動の幅広さを改めて感じました。
この個展のタイトルは"One Ocean, One voice"。
彼女のとても大切な部分とリンクしていて
彼女のスピーチの間、BGMには神秘的なクジラの歌声。
切ないお話しを笑顔でしてくださって
胸が熱くなりました。。
素敵な演奏と美しいお料理にも楽しませてもらいました。
写真の美しいお料理はジンジャーヒルファームからのケータリング。
すべてお箸もフォークも要らないフィンガーフード。
色とりどりのエディブルフラワーやお皿代わりに
葉っぱを使うプレゼンテーションも、とてもとても参考になりました♪
久しぶりの友人も来ていて、お互いの近況も交換し合いました。
いいエネルギーに包まれた、素敵な夜でした♡
多分、一年ぶりくらい。
その日は友人のジャックのバースデーで
ジャック夫妻から一緒に行こうと誘われたのでした。
常夏とはいえ、ハワイも冬は冬。
ビーチではけっこうな波の高さで、激しくブレイク。。
内心、ひゃー!と思いながらカヤックを海に浮かべ
しばし様子見。
波にもまさしく”波”があって、少し穏やかになるときがある。
そのタイミングを待ってササッと波頭を乗り越えて沖へ。
・・・とはいえ、思いっきり水かぶりましたが(笑)。
一旦沖に出てしまうと、
チャプチャプと波の角は一面に立つものの
しぶきが飛んで来ることもなければ、
バーンとカヤックで海面を叩き付けるようなこともなくて。
滑らかな海も美しくて好きだけど
遠く岩壁では激しく打ちつける波がすごい迫力で砕け
振り返ると、クジラが潮を吹き
プレイフルなイルカがジャンプして空中で見事なスピン!
360度どちらを向いても
素晴らしいショーを見せてくれる大自然。
そのまん中に居られるなんて、なんと贅沢な。
もっとマメにカヤック楽しまないと、もったいないね。
ビーチに戻って、せっかくバースデーだからと
ジャック夫妻をレストランに招待しようとしたら
なんと彼らはスナックとドリンクを用意して来ていて
隣の公園で一緒にどう?と
逆にお誘いを受け、ご馳走になってしまいました。
(ありがとう!)
ピクニックテーブルを囲み、
時折ジャンプしたり潮を吹くクジラを見ながら
もうひととき、楽しい時間を過ごしました。
ジャックをお祝いしつつも
私たち皆が大いなる自然に祝福された気がします。
豪華レストランや高価な贈り物もいいけど
それに勝るとも劣らないゴージャスで豊かな
ジャックのバースデーでした。
この日のカヤックのダイジェストです!
本当のハワイに触れてみたい方、
また、ハワイ島で心身ともにリセット&リフレッシュしたい方、
バケーション/リトリートハウスIPU HALEでお待ちしております。
]]>DavidさんYurikoさん♡
先日はお世話になりました。
ありがとうございます。
私にとって初のリトリート体験。
しかも大好きなハワイ。
ドキドキワクワクしながらの毎日でした。
Yurikoさんにコーチングをして頂いて、
自分を知る良いきっかけになりました。
自分についてこんなに考えたのは初めてで貴重な時間でした。
先が見えず落ち込む事がありますが、自分の声を聞いてあげて、
少しずつやっていこうと思います。
早く自分の理想のライフスタイルを見つけたいです。
オーシャンビューで風を感じながらのヨガも最高でした。
今までと違う心地良いヨガ。
帰国してからも少し早起きしてIPU HALEを思い出しながら
朝ヨガ続けてます。
ホテルでは感じられない隠れ家のようなハウス♡
おもわず『ただいま〜』と言いたくなります。
Davidさん作のインテリアも一つ一つお洒落で
とてもステキな空間でした。
イルカ(実は私もすごく好きなんです)のアートにも感動です。
お二人は私の理想のライフスタイル。
私もとっても有意義に過ごせました。
またお会いできる日を楽しみにしております!
ご縁に感謝♡
何となく心が落ち着いてないというか、
しっくりこない感じがしてたので・・・。
これをすると、出来上がった作品が内面を映し出したり
絵柄と色の妙で、インスピレーションや
メッセージを得られたりするのです。
この本には塗り絵用の曼荼羅がひたすら載っていて
その時の気分で気になった絵を選び、
その時の気分で使う色を選んで塗っていくのです。
無になって淡々と色を塗る。
無心とはいえ色んな思いがひょっこり現れるので
それを無理にかき消すこともなく
心の中で好きなように自由に遊ばせました。
私が自由でいるとそのエネルギーがシンクロするのか
愛猫パンダの気ままさもいつも以上。
可愛く寄り添ってくれたかと思うといきなり立ち上がって、
塗ってる絵の上を堂々と横断してったり(苦)。
あぁぁ、、まぁいいや。
知らないうちに没頭して、ふと顔を上げると
パパイヤの木に正面から射していた陽光が、
すでに大きく左に移動していました。。。
曼荼羅塗り絵は、たかが塗り絵といえども
「奇跡の一枚」の作成です。
同じ絵柄でも色使いによって随分違ったものになるそうです。
何人かで同じ絵柄をそれぞれ塗り絵して、出来上がりを比べると
とても興味深いといいます。
色の選択は、その時の内面的なコンディションに左右されるし
同じ色の組み合わせでも、色をどう配置するかで変わりますからね。
そんなわけで、出来上がった今回の奇跡の一枚(笑)。
これを見て何を感じるかは人それぞれですが
結局、その人の中にある「何か」と反応してインスピレーションなり
メッセージとなって返って来るわけです。
また、これを2、3メートル離れて見てみると、
不思議なことに見え方がまったく変わります。
具体的にはこの絵だと、手元の距離ではとても立っている黄緑が
離れて見ると白に近くなって、赤や青が際立ちました。
その印象が強烈で、、、はっとさせられました。
その意味は今はよくわからないのですが
大事に心に留めておこうと思います。
そのうち答が出るでしょうから。
深く静かな時間をもててよかったです。
これまでもナバホ、ナバホと書いてきましたが、
ナバホはネイティブアメリカンの一部族です。
コロンブスがアメリカ大陸にやって来てからの
ネイティブアメリカンと入植者との歴史は
私もまだ勉強中ですが、それはそれは
壮絶なものだったと理解しています。
特にナバホ族は入植者に激しく抵抗した部族の一つで、
抵抗した分、流された血もすさまじかったといいます。
結局彼らは、もともと祖先が暮らしてきた
アメリカ西南部の土地を保留地としてあてがわれ
そこでナバホネイションという自治国家を勝ち取ります。
しかしネイティブアメリカン全般にそうであるように、
ナバホもアルコール中毒や高い失業率の問題を抱えてます。
ナバホ族の37%が貧困線を下回る生活をしている、
という統計もあります。
クリントン元大統領は2000年4月19日に
ナバホネイションで講演してますが、その中で
「ナバホネイションにおいて37%の家に電気設備がなく
約70%の家には電話がない。そして半数以上の人に職がない。」
と話してます。
そういえば、私たちがスーパーに入ろうとすると
入口の脇にしゃがみ込んだ若者が物乞いをしてきました。
クルマがガス欠になったがお金がなくて給油できず、
彼女を送っていくことができないのだと。
彼女らしき姿は見かけませんでしたが。
本当にそうなのか、私たちがどう見てもよそ者だからか。。
確かに、あたりのほとんどがナバホの人々なので
私もデイヴィッドも浮いてる気がしました。
ところでハワイと同様、ナバホの人々の暮らしも
アメリカナイズされ、ネイティブの言葉や文化、伝統が
失われてしまうことが危惧されています。
それを防ぐ目的もあるのか、ナバホネイション内でラジオをかけると
英語とナバホ語が入り交じった放送でした。
ナバホ語といえば、第二次世界大戦の太平洋戦線、つまり
日本との闘いにおいてナバホ族のコードトーカー(暗号部隊)が
米軍に貢献しました。
ナバホ語の暗号文を日本軍が解読できなかったのです。
先ほどの演説の中でクリントン元大統領は
「ナバホ・コードがなかったらアメリカ軍は
硫黄島を占領することができなかっただろう」
と言い切ってます。
ウィンドウロックの前にあるこの記念碑が
ナバホのコードトーカーの活躍をたたえたものです。
今回の旅で私たちが接したナバホの人々はみな、
とてもスウィートなハートの持ち主でしたが
暮らしはやはり、なかなか厳しそうでした。
ある露店の女性は、
「こうして直販するほうが業者に卸すより身入りがいいのよ」と。
それにしても、モニュメントバレーの立派な土産物店では
フォーコーナーズの露店で売ってるのと全く同じ品に
3倍以上の値がついていました。
どういうことでしょう・・・。
自己満足かもしれませんが、
ローカルの人たちを直接サポートしたい思いもあって
私たちはお土産類は露店で購入しました。
一番のお気に入りはウィンドウロックで買ったこの美しい壷。
ターコイズをあしらった一品ものです。
アートギャラリーに展示されていてもよさそうなこの壷を
吹きっさらしの大地に折り畳みテーブルを広げただけの露店で見つけました。
このような名もないアーティスト、
毎日凄まじい砂埃を浴びるアンテロープキャニオンのツアーガイド、
海を見たことがないという、ウィンドウロックで
ナイトハイクに連れて行ってくれた若者たち・・・
何が豊かで幸せかは彼らが決めることですが
彼らにとって住みよい環境と広い世界への扉が開くことを
陰ながら願う私です。
なお、ここに記したことは私が直接見聞きしたことに加え
以下を参考にしています。
「ナバホへの旅 たましいの風景」(河合隼雄)
「アメリカ・インディアン―奪われた大地」(フィリップ・ジャカン)
「アメリカ・インディアン悲史」(藤永茂)
「インディアンの声を聞け」(ワールド・ムック―アメリカインディアン)
「ネイティブ・アメリカン―先住民社会の現在」(鎌田遵)
セドナからオクラホマシティに戻る途中でもう一カ所、
どうしても行ってみたかったのがウィンドウロック。
ウィンドウロックはアリゾナ州の東の端、
もう少しでニューメキシコとの州境というあたりの町。
(またまた拝借したこちらの地図で、右下の☆印)
ウィンドウロックはナバホネイションの首都で、
その名の通り、窓のようにぽっかりと穴の空いた岩があります。
ハイウェイ40を西へ走るうち、突然景色が
険しい断崖と荒野に変わったと思ったら
そこからがナバホネイションのエリアでした。。。
しかし道のりは遠く、日も暮れて。
「休憩エリアまであと2マイル」の標識があったので
とりあえずそこで休もうということになったのだけど・・・
入り口を見落としたのか、結局、休憩エリアを見つけられないまま
ウィンドウロックの町までたどり着いてしまいました。
さて例の岩はどこにあるのか?
(というより、こんな夜に行っても何も見えないでしょ?)
立ち寄ったガソリンスタンドやスーパーで聞いた情報をもとに
近くまでやって来た・・・はず。
静まりかえった中、穴の開いた岩を探しながら狭い道を徐行。
車窓から手を伸ばせば届きそうな距離に、築山のような大きな赤い岩が
いくつもそびえているのがオレンジ色の街灯に照らされて。。
正直、不気味。。。
行けども行けども同じ一帯をクルクル回るばかりで
ウィンドウロックは見つからないし。
もう、諦めよう。
そう思ったとき、デイヴィッドが「穴だ!」と。
見ると、駐車場の向こう、思ったより高い位置に
確かにぽっかり穴が開いている。
まさに、インターネットや本で見たウィンドウロックの写真と同じでした!
駐車場には1台だけピックアップトラックが停まっていて
私たちもその隣に駐車。
直後に、どこからか犬を連れた若い女性が現れて
そのピックアップトラックに戻ってきました。
話しかけると、今から彼女は友達とこのウィンドウロックを
ナイトハイクするのだと。
デイヴィッドが「僕たちも一緒に行かせてもらっていいかな?」
と尋ねると「もちろんよ!」との返事。
きゃー、何てこと!
ナバホの人たちと一緒にハイキングできるなんて!!
取る物も取りあえず支度をして、彼女の仲間と合流。
みんな二十歳過ぎくらいの男女で、私たちを快く歓迎してくれました。
どこを歩いているのかよくわからないまま、
ヘッドライトに照らされた足元だけを見ながら、彼らについて行きます。
ふいに立ち止まり、「ほら!」と指差された方向に視線を見上げると・・・
ウィンドウロックのぽっかりと開いた穴が目の前に!
先ほどとは逆に、ウィンドウロックを裏側から見る位置にいました。
まぁるい穴の中に車を停めた駐車場と、遠くにささやかな町の灯り。
満点の星空を背景に、穴の真上を天の川が向こうからこちらへ流れ。
駐車場の灯りが幻想的に穴の断面を照らして。
もう・・・涙が出そうなくらいファンタジック。
あまりの光景に言葉も出ず、ただただジーン。。
カメラを持って来なかったのが悔やまれました。
しばらくそこに座って彼らと色々話しました。
彼らは海を見たことがないのだそう。
「広い水平線を見ると、地球が丸いのがわかるっていうけど
それってホント?」と聞かれ
「家から海を見てもわかるよ」と答えると驚いてました。
活火山のキラウェアの話、イルカやクジラの話に
一々「えー!」と。
最後に皆で輪になって、ちょっとした儀式をしました。
そして、その儀式の名残の品を
「この木の根元に埋めましょう。
そうすればここへ来るたびあなたたちのことを思い出すから。」と。
ハイクに連れて行ってもらったお礼に
私たちがいつも飲んでいるコナコーヒーを一袋あげました。
コナコーヒーといってもピンと来てない感じでしたが(笑)。
豆を挽くグラインダーを持ってるかと尋ねると
「ないけど、ジューサーミキサーでやってみるわ!」と。
とてもとても、ピュアな若者たちでした。
夢のような時間を過ごし・・・
写真も残ってないし、この出来事があった証は何もないので
今もって不思議な感覚です。。
彼らと別れたのはもう、9時か10時頃。
夕食をとってなかったので、興奮醒めやらぬ中
Om Homeで遅いディナー。
もう一度カメラを持って先ほどの場所に戻りたい。
でも彼らがいないと迷子になってしまうかな。。。
葛藤の後、やはり無理はしないことにしました。
翌朝、もう一度同じ場所へ。
明るい陽のもとではすべてが違って見えます。
前夜と同じトレイルを行ってみました。
ちょうどこういう角度で天の川やウィンドウを見上げたのでした。
人がこんなに小さく見えるほど大きな穴だったんですね。
昨晩の感動に再び浸ったまでは良かったのですが
帰りは・・・道に迷ってしまいました!
昼日中に、二度も!!
前夜、無謀なチャレンジをしなくて大正解でした。
振り返ってみると、もう一日セドナで過ごしていたら・・・
あの休憩エリアを見過ごさず、そこで休んでいたら・・・
ウィンドウロックが簡単に見つかっていたら・・・
私たちは彼らに出会うこともなく、
ハイキングトレイルがあることも知らないままで、
あの夢のような光景を目の当たりにすることも
ナバホの人たちと直に交流する機会もなかったわけです。
すべての完璧な巡り合わせ、そして
生涯忘れられないあの夜の出来事と光景に、心から感謝。
ようやくと言っても、前回が去年の4月なので
1年半で再度訪れることができて、感謝しないといけませんね。
2度目のセドナは、初めてのときほどガツガツすることもなく(笑)
穏やかに過ごすことができました。
前回行くことができなかったRed Rock Crossing。
モーニングコーヒーのマグを片手に散歩がてら行ってみました。
目の前にセドナの四大ヴォルテックスの一つといわれる
Cathedral Rockを見上げるこの場所そのものもヴォルテックスだそう。
ヨガをしたり瞑想したり。
あまりに心地よくて、結構な時間をここで過ごしたように思います。
一旦、朝食にOm Homeに戻り、身支度を整えて
いよいよハイキング。
この川を渡ってCathedral Rockを目指します。
渡ると言っても橋があるわけではなく、
こうして靴を脱いで慎重に。。
川底の石が滑りやすく、転んでずぶ濡れになる人もいるなか、
膝までまくりあげたジーンズが濡れただけですんだのは
上出来ということにしましょう(笑)。
しばらくこの川沿いの静かな小径を歩いた後
スイッチバックを切り返して登り道。
近づくにつれ、Cathedral Rockが先ほどの遠景とは
違った表情に刻々と変わるのが面白い。
ラストの所で去年歩いたトレイルに合流。
去年はあまりの急勾配に足を滑らせないかと怖々だった岩も
この程度ならハイクシューズがしっかり地面を掴んでくれるとわかっていたし
また、前回の経験から他の装備も少し整えたことで、
今回は心身ともにずっとラクに登ることができました。
経験というデータをもつことは大事ですね。
頂上というか、登り得る一番高い所(笑)でも風は穏やかで心地よく
ここでもピースフルな時間を楽しみました。
前に来たのは4月でしたが、雪の降る日もあり
こんな高台では寒さと強風に震えましたが
同じ場所でもこんなに違うのですね。
また今回はまだ夏のなごりの時期でセドナ全体に緑が多く
前の印象とは少し違った景色を見ることができました。
<↑クリックするとムービー(47秒)にジャンプします。>
もう一つ。
Cathedral Rockに来る楽しみのひとつは
この頂上付近の岩に誰かが掘った、ヴォルテックスを表す
渦巻きマークを再び見ることでした。
が、そのマークはうっすらと消えかかっていて
上から別の絵が彫られてました。
少しがっかりしましたが、まぁ諸行無常。
そういうことなんですね。。
2度目のセドナは一所でゆっくり過ごし、
色んなことを感じたり発見する余裕がありました。
本当はもう一日、ハイキングに出かけたいところでしたが
今回こうしてセドナに戻って来れたことを思うと、
また必ず来れるという確信ができました。
次回を楽しみに、翌日オクラホマシティへ戻るべく
進路を東に向けました・・・。
が、10数年前にちらっと訪れたときの私の感想は
あまりピンとこない、というのが正直なところでした。
なのでさほど興味はなかったのですが
「せっかく近くにいるんだから行こうよ」とデイヴィッドが。。
それで、アンテロープキャニオンから数時間、
強風にハンドルを取られそうになりながらも
なんとかサンセットには間に合いました。
海でも山でも、サンセットの時間帯が
一番ピースフルなのは共通ですね。。
翌日、時間的にはスキップしたほうがいいかと迷いましたが
好奇心にまかせて、渓谷を下るハイクをすることにしました。
この日も快晴。
さすがにグランドキャニオンは大勢の人で賑わっていてましたが
ハイキングトレイルは人も少なく、
下り始めるとすぐにエネルギーが変わるのを感じました。
上では強風で帽子が飛ばされそうだったのが、
下るにつれ風に直接吹かれることがなくなって、歩きやすい。
また視点が徐々に下がっていって、下から見上げる景色は
上から見下ろすそれとは随分異なって新鮮でした。
そして何より、この岩肌を間近に見る迫力に心が躍ってしまいます。
実は今回来るにあたって、
以前はさほど感動しなかった景色も
今なら違った風に感じるかもしれないと期待していました。
が、前日の夕方の景色も、この日の青空の下で見る景色も
やはり今ひとつ「感動」というほど感じ入ることがなくて。。
景色が大きすぎて、遠すぎて、実感がわかないのです。
でもこうしてトレイルを歩くことは、この自然の造形物を
外から眺めるのではなく、その中に入っていくことになって
ダイナミックな臨場感に心が震えるほどの喜びを感じました。
振り返ると、メサヴェルデの遺跡にしても
アンテロープキャニオンにしても、実際にその中に入って
身近に体感することが、私にとってはとても刺激的でした。
NLPでいうAVKモデル(A=聴覚、K=体感覚、V=視覚の
どの感覚が優位か)では、どうやら私はKタイプらしいと
初めて自覚しました。
そう思うと、ハワイ島での自然と一体となった暮らしが合うのも、
そこで深い自然の中に入っていくことが好きなのも、納得です。
言われるままにグランドキャニオンに来てみたら
そこにハイキングトレイルがあって、
気持ちにまかせて歩いてみたら、大満足の結果となりました。
流れにゆだねると、間違いはないですね。
ナバホネイションの西のはずれ、アンテロープキャニオンへ。
(またまたこちらで拝借したこの地図で左上の☆印。)
途中の展望エリアで仮眠をとったのですが
明け方目をさますと、前夜にはなかったクルマがもう1台。
私たちと同様、ここで休憩してるのだと思いきや・・・。
実はそのクルマの女性はこの場所に露店を出すために
夜が明けるのを待っていたのでした。
朝になると彼女は店開きを始め、するとほどなく
観光バスがやってきて、お客がぞろぞろと。
なるほど。。
しかし一団はあっという間に立ち去って行きました。
毎日どれだけの人が買うのかわかりませんが
彼女は夜明け前からここで待っていたのですね。。
さて、再びアンテロープキャニオンに向かってドライブ開始。
快晴なのに遠くがかすんで見える、妙なお天気でした。
アンテロープキャニオンへはナバホのツアーに参加しないと、
個人では行けません。
先ほどの露店の女性に聞いた情報をもとにチケット売り場を探し
早速、ツアーを申し込みました!
出発まで時間があったのでその間にもう一カ所、
ここからほど近く、ぜひ訪れてみたかった
ホースシューベンドへ。
駐車場から1kmほどのハイクは
わくわくしながら歩くにちょうどいい距離でした。
見渡す限りの赤い大地を行くと・・・
景色が大きすぎてうまく写真に収まりませんが
コロラド川が蛇行してその名のごとく、みごとに馬蹄形。
川を行くボートが小さく小さく見えて、
この崖の深さを思い知りました。。
背後からの朝陽で川面に陰が写ってしまいました。
もう少し遅い時間に来ればよかったのかもしれませんが
その時間帯を指定してアンテロープキャニオンの
ツアーを申込んだので・・・仕方ないですね。
そのツアーはと言うと、集合場所からガイドのクルマで移動。
それにしても風が強い。
そして砂埃が舞う。
遠くの景色がかすむのは、この砂埃のせいでした。。
アンテロープキャニオンは砂岩の浸食によってできた
渓谷というよりもスリット、地の裂け目という感じ。
太陽が真上に来るプライムタイムでここへ来たかったのは
光が渓谷の底まで差し込んで、砂岩がファンタジックに
いろんな表情を見せてくれるからです。
念願かなって、自然の造形と太陽が織りなすマジックを
堪能しました。
ところで、この光が差し込む写真を拡大すると、
白い光の中に無数の砂が舞っているのがわかるでしょうか。
渓谷の中に入っても、所々で傘が要るかと思うほど
砂に降られました。。
なんとかカメラが無事でほっとしました。
が、この日以来、クルマの中が拭いても拭いても砂だらけで
参ってしまいました。
ここで暮らすのは、なかなか大変そうです。。
その他のアンテロープキャニオンの写真はこちらにあります。
よろしければご覧ください。
さらに西南へと向かいました。
目指すは州境、フォーコーナーズ。
文字通り四つ角。
北東から時計回りにコロラド、ニューメキシコ、アリゾナ、
そしてユタの4つの州の境界線が直角に交じり合っていて
その地点にフォーコーナーズ・メモリアルがあります。
(下の地図で右上の☆印。地図はこちらから拝借しました。)
この地点のコロラド州エリアは山岳ユトの、
それ以外の3州は上の地図の通りナバホの居留地で、
このモニュメントはナバホ政府が管理しているとのこと。
ゲートを入ると料金所があって、一人何ドルだったか・・・
数ドルですがお金を払います。
もちろんそのブースにいるのはナバホと思われる
ネイティブアメリカンです。
フォーコーナーズも彼らの貴重な観光資源なのですね。
舗装もされていないガタガタの駐車場にクルマを停めると
その先にありました、”モニュメント”。
荒涼とした土地の、この一角だけきれいに舗装され、
立派なアンフィシアターになっているのが、ちょっと異様な感じもしましたが。
「その地点」では、四つん這いのようになって両手両脚で各州をタッチし
4州にまたがるポーズで写真を撮る人たちをよく見かけました。
が、こちらのヨギーはいつものごとく、はい、ヘッドスタンド。
周りには土産物を売るネイティブの人たちがいました。
ハンドメイドジュエリーや砂絵のアートなど。
これ以降、ナバホネイション内各地で同様に
自作の品を並べる人を見ることになります。
観光とカジノくらいしか産業がないという
ネイティブアメリカンの暮らしを垣間見た気がしました。。。
その後さらに西へ数時間、モニュメントバレーを目指します。
(上の地図でフォーコーナーズの左横の☆印)
原野というのか荒野というのか、流れる景色を見ながら、
今私たちがハイウェイのおかげで数時間で移動できる距離も
西部開拓時代、道なきでこぼこの大地をほろ馬車で行くのは
並大抵ではなかったことが容易に想像できました。
ネイティブアメリカン vs 入植者の歴史についての
複雑な思いは変わりませんが、入植者たちも母国を捨て
よほどの覚悟とコミットメントで新天地にやってきた。
「何としてでも」という、彼らには彼らの理由があったのだと
しみじみ思いました。
さて、モニュメントバレー。
ここもナバホの居留地(ナバホネイション)内ですが
さらにこのエリアはナバホ・トライバルパークということになっていて
フォーコーナーズ同様、ゲートで料金を。
そしてお馴染みのこの風景!
実は、これらのビュートを間近に見る、もしくは
ビュートそのものを歩く(登る)トレイルがあるかと
胸を膨らませて行った私ですが、ビジターセンターで調べたところ
トレイルはビュートから離れたところに1本あるのみ。
ならばクルマで・・・、と思っても、道がぬかるんでいるとのことで
Om Homeのタイプのバンはその日は立ち入り禁止。
残る選択肢はツアーに入ることですが、この展望台から
ふと、ツアーの四駆がそれはそれは、ものすごい砂埃を上げて
走っているのが目に入り。。。
あれは無理。
そう思って、下へ降りるのはあきらめました。
翌日もっと砂まみれになるとは、この時点で知る由もなく。。
それにしても、よく耳にする観光客向けに馬に乗って現れたり
機織りをデモンストレーションするナバホの人たちは、
一体どこにいたのでしょう。
私たちは見る場所を間違っていたのでしょうか??
美しい夕陽に照らされ、刻々と色を変える景色を楽しんで
モニュメントバレーを後にしました。
しかし遠くに見えるロッキー山脈ははやり雪を冠っていました。
世界遺産でもあるメサ・ヴェルデ国立公園には
アナサジ、もしくは古代プエブロ人と呼ばれるネイティブアメリカンの
祖先の遺跡があります。
アナサジ族は西暦550年頃からこのあたりに住み始めました。
メサ(切り立った台地)の上で農耕や狩猟をし、元々はそこに住んでいたそうですが
1190年代後半から1270年代後半にかけて、このような断崖に住居を建設しました。
なので収穫物や獲物は崖づたいに持って降りたとのこと。
パークレンジャーによるツアーでもこうして梯子を使います。
また、小柄だった彼らはこんな小さなトンネルも造りました。
これはキヴァ(kiva)と呼ばれる、宗教的な儀式をする部屋。
また、寒い冬場は常にここで火を焚き暖をとっていたそうです。
底の丸い大きな穴のところが火を焚いた場所。
本来はこの部屋には木の屋根があり、奥の四角い穴が外部と通じる換気口、
その手前のブロックのような岩は換気口からの風が
ダイレクトで火に当たらないようにするための風よけとのこと。
そしてもう一つ面白いのは一番手前の小さな穴。
シーパプ(sipapu)といって、彼らの祖先が最初にこの世にやってきたときの
通り道を象徴しているのだとか。
しかし、1200年代後半から、一世代から二世代の年月のうちに
彼らはここを去り、1300年頃には廃墟となります。
その理由は諸説あって常に議論の的だそうですが、
文字を持たなかった彼らの真実はわかりません。
ところで、アナサジ族が消え去った西暦1300年頃というと日本では鎌倉時代。
そう思うと、彼らの暮らしぶりはとても原始的に感じます。
(ガイドしてくれたレンジャーによると、これも文字を持たなかったためだそうです。)
文字を持たなかったと言えば、彼らは岸壁にペトログリフを残してます。
このペトログリフへと下るハイキングトレイルを歩きました。
優しい木漏れ日と谷に響く鳥の鳴き声。
途中で行き交ったのはほんの数人。
ほとんど貸し切り状態でした。なんと贅沢な。。
遠くのメサを見上げると、子どもの頃父が好んで見ていた西部劇に出てきた、
羽飾りをつけて馬に乗ったインディアンたちが今にも現れそう。。。
レンジャーツアーで住居跡を見学した直後でもあり
トレイルを歩きながらしばし古代の人々のことを思いました。
彼らの平均寿命は35〜40歳だったそう。
厳しい自然環境で、断崖での暮らし。
このペトログリフで何を伝え合っていたのでしょう。。
遠くから眺めるだけでなく、彼らが実際に住んでいたスペースで
リアルにそのエネルギーを感じ、歴史のロマンに浸ることができました。
静かに時が止まったようなメサ・ヴェルデ。
本当に素晴らしかったです。
メサ・ヴェルデに行ってみようとお考えの方。
レンジャーツアーはとてもお勧めです。
彼らのガイドのお陰で理解が随分深まりました。
しかも、たった3ドルです!
(英語のみ。)
◆他の写真はこちらにもアップしてます。
いつも大家族が総出で歓迎してくれます。(ありがとう!)
となると当然、食べて、食べて、また食べて・・・、ということになります。
ま、こんな感じで;;
食事にせよ、おやつにせよ、毎回必ず手を合わせて
「いただきます」と言ってから食べ始める私とデイヴィッド。
家族の目にはとても不思議に映るようで。。
あるとき、とうとう義妹が
「そのお祈りは何なの?」と聞いてきました。
彼女が「お祈り」と呼んだのは
キリスト教の食前のお祈りを連想したのでしょうか。
それとも珍妙に見える呪文と儀式に敬意をはらって
言葉を選んでくれたのでしょうか。。
「いただきます」は確かによく受ける質問の一つです。
食物への感謝であり、それをいただけることへの感謝、
また調理やサーブしてくれた人への感謝だったりもする・・・
というふうに返答をするのですが、
「ふーん」「へぇ〜」という相手の反応からして、
あまりピンときてないのが伝わってきます。。
思い起こせばデイヴィッドも元々はその程度だったのかもしれません。
が、彼の場合私と毎日暮らし、また日本へ行くと
みんながみんな、手を合わせて「いただきます!」と
(ほとんど無意識に)やってるのを見て、
その「感じ」はお腹に落ちているようです。
結局、実際にその文化のなかで繰り返し体験してみないと
本当の意味で「わかる」のは無理だなと。。
当然、逆もしかりで、私(たち)もよその国や地域の文化について
真に理解していることはかなり少ないのだろうと思います。
以前、その義妹の息子、つまり私たちの甥を
3ヶ月預かったことがあります。
その間、彼はsashimiやsushi、misoスープなど
普段食べ慣れない食事にも順応し、お箸も上手に使えるようになりました。
しかし家に帰ってもお箸を使っていると
父親が「何やってるんだ」とイラついたそうで。。
どうやら彼らにとって、二本の棒で食べ物を割ったり挟んだり、
ごま粒など小さなものまで摘んで食べる様は
言ってみれば、中国雑技団を見るのと同じような感覚らしく(笑)。
そんな彼らに
「お百姓さんに申し訳ないから、ご飯は最後の一粒まできれいに食べるのよ」
なんて言っても完全に意味不明で終わります。
数日間一緒に暮らすと、面白いと感じるポイントも興味の対象も
随分違うのがわかります。
もちろん個人の性格や性質によって好みや感じ方の違いはあるにせよ
一般的な傾向はあります。
そしてそれこそが、受け継いできた歴史的・文化的背景、
要は、DNAの違いなのだと。
結局、世界が一つになれないのは、こういうことなのか。。
互いにわかり合うことの難しさを痛感するのです。。。
同時に自分が何者なのか、ますますわからなくなってきました。
アメリカの文化・風習にはまだ片足をほんの少し浸けた程度。
かといって、日本のことを忘れつつあるのも事実。
少し感傷的になったりもするのでした。。
オクラホマシティに置いてあるキャンピングカーで
親族のいるセントルイスに行き、そこで1週間ほど滞在。
その後、ボルダーからロッキー山脈を超え、
切望していたコロラド、アリゾナ、ニューメキシコをロードトリップ。
まぁ当然ながら今回も珍道中。
旅の初っぱな、ハイウェイの無人料金所で85セント払うところが
機械が1ドル紙幣を吸い取らず。
デイヴィッドがお札をとっかえ引っ替え試すけどどれもNG。
困ったなと思ってたらデイヴィッド、突然トイレに消えるし。。
(車中にトイレがあると助かる・・いやこの場合、助かってるのか?)
その間、後ろの人を待たせては悪いと私がトライ、、しようと
運転席から顔を出すとすでに後ろに長蛇の列;;
しかも、でっぷり太った大きな男性がすでに自分のクルマから降りて
「ふざけるな!さっさとしないか!」とすごい剣幕で怒鳴ってます。
アメリカらしい、絵に描いたようなワンシーン。
・・・などと、今なら笑えますが、その場においては血の気が引く私。
そんなこと言われても小銭は使い果たしたし、どうしようもない。。
そこへデイヴィッド復帰。
やむなく、コイン専用機の受け皿に1ドル紙幣を入れました。
多分、すぐに風に吹かれて舞っていったことでしょう。
当然機械は支払ったことを認識するはずがなく、ブースの前の信号は赤いまま。
後ろからのプレッシャーもあるので、そのまま発進・・・!
すると、ジィィィィィィィーーーー!!とけたたましいブザーの音。
Oh my god!!
料金所の機械は壊れててもブザーは作動するのね(苦)。
ブザーがあるってことは、防犯カメラもあったのかな?
(あっても作動しているかどうか?)
もしかして、旅が終わって自宅に帰ると85セント(プラス追徴金?)の
請求レターが届いるかも、と思いましたが今のところ音沙汰なしです。
先ほど「切望」と書きましたが、なぜそんなに惹かれるのかと考えてみました。
おそらく、ワイルドな自然に身を置いて
間近にそのエネルギーを感じてみたいのでしょうね。。
そしてもう一つ、自分の住むこのアメリカという国、その人々について
もっと知りたいという思いが、確実にあります。
もともとネイティブアメリカンが住んでいた場所に
あとから白人がやって来て、力で押さえつけてこの国は出来ました。
かなり理不尽な、残虐なことも行われたようです。
このエリアには、ネイティブアメリカンの居留地や
合衆国とは独立した行政機能をもつナバホネイションがあったり、
彼らの祖先のアナサジといわれる人々の遺跡などもあります。
そこを訪れて、その歴史や人々に触れることが出来たら
ときにその言動に面食らうアメリカ人の発想や社会が
どのようにして今に至ったのかをひも解く手助けになるかもしれないと。。。
結果的にどうだったかというと、いくつかの点が線に繋がって来た感じがしています。
印象深い気づきや体験は、自分の記録のためにも
ブログに少しずつ残していこうと思ってます。
よかったらまた、お付き合いください。
悲喜こもごもありましたが、大きな事故もなく無事に帰って来れたこと、
かけがえのない体験ができたことに、とてもとても感謝しています。