ごくごく近しい数人にしか事前にお知らせしてなかったのですが
先週、1週間だけ日本に帰ってきました。
あとから、日本にいたなら会いたかったのに、
と言ってくれる友達もあり
申し訳ない気持ちと嬉しさが同居しています。
今回の帰国はある意味、未知の領域に足を踏み入れるような不安がありました…。
* * *
ずっと入院生活だった母。
8月上旬に、亡くなりました。
前々から、心の準備はしていました…。
そのつもりでこのハワイ島にお嫁にも来ました。
だから、これまでも時々、
「そのとき」私はなにが何でも飛んで帰りたいだろうか?
どうしてもお葬式に出たいだろうか?
と想像してみたことも…。
…なんて書くと薄情に聞こえるかもしれないけれど
そうじゃなくて、むしろ母に対して私はやり尽した達成感のようなものがあって
後悔も思い残すこともない気がしていたので。
ただこればっかりは、実際に「そのとき」になってみないと
本当のところ、自分がどうなるか、どう感じるかはわからないなと…。
7月半ば過ぎに、あと1〜3ヶ月くらいだろうと聞かされました。
いつかこの知らせをこの地で聞くことはわかってはいたとはいえ、
やはりショックで動揺しました。
そのとき、もう一目母に会いたいかどうか、
そして先ほど書いた、これまで何度となく自問して来たことを
再度自分に聞いてみました。
答えはNOでした。
なぜなら、たとえ会いに行っても、ここに留まっても
私にできることは同じ。
ただ母を思い、祈るだけ。
もっと言えばそれは、母に命があってもなくても同じだから。
それに、何度会いに行ったとしても、
必ず「最後」となる面会はくるのだから。
去年会いに行ったとき、伝えられるうちにと
これまでの感謝とお礼、そして私の愛を母に直接言えたことも大きかった。
だから、バタバタと心乱して帰国するより
私は私らしく、ここで日々の幸せを見つけながら心静かに過ごしたい。
そう思いました。
その2、3週間後。
明け方に電話が鳴り・・・。
それが何を意味するかはすぐにわかり、心臓がバクバクし始めました。
恐る恐る電話に出て、母の死を聞いたとたん
やはり涙があふれました。
覚悟していてもこうなるんだ・・・。
数時間・・・寝込みながらも、この前と同じ質問を自分にして
結果、この前と同じ答えに至り、すぐの帰国は見送りました。
まぁ、私らしくピースフルに、といっても
当然、ふとした瞬間にこみ上げて来たり
また微妙に体調に影響したり、
ここ数ヶ月いろいろありました。
でもそういうことも含めて、亡くなってかえって
母とのつながりを強く感じます・・・。
それで、前置きが長くなりましたが、今回の帰国。
百か日の法用と納骨、そして遺品整理に行きました。
母の死を遠くはなれた場所で、自分の内側だけで体験して来た私。
実際に法用や納骨が目の前で行われ、遺品を目にしたら
私は一体どうなるだろう・・・
もしかすると、自分を保てなくなるんじゃないか・・・
そんな不安がありました。
だから、本当に限られた人にしか事前に知らせる勇気がありませんでした。
でも、結果、幸いにもそんな心配は無用でした。
もう十分に私のなかで母の死を体験し、受け入れていたのかもしれません。
むしろ、久しぶりに会った親戚など、人とのつながりを再確認し、
普段ついつい、偉そうに自分一人で生きてるつもりでも
陰に日向に、多くのサポートをいただいてることを思い出させてもらいました。
また、日本的な暮らしから遠のいている私ですが
母が遺した物たちを目にして、私のなかに
(どう定義するかは別にして)良いものを「いいな」と感じる感性が
しっかり息づいていることも再確認。
今回の帰国では人やモノ、そして私自身と再びつながること、
つまりre-connectionが一貫したテーマで、
それを通して私のルーツ、起源を目の当たりにすることになりました。
今これを経験したことは必然で、きっと意味のあることでしょう。
母は母のタイミングで逝きましたが、私にとっても
まるで計ったようなタイミングでこの一連の経験がもたらされたと思ってます。
だから、やっぱり言いたい・・・
この機会をくれた母に、ありがとうと。
最後のギフト、大事にするね。