今回の旅で初めてナバホの人々と直に接しました。
これまでもナバホ、ナバホと書いてきましたが、
ナバホはネイティブアメリカンの一部族です。
コロンブスがアメリカ大陸にやって来てからの
ネイティブアメリカンと入植者との歴史は
私もまだ勉強中ですが、それはそれは
壮絶なものだったと理解しています。
特にナバホ族は入植者に激しく抵抗した部族の一つで、
抵抗した分、流された血もすさまじかったといいます。
結局彼らは、もともと祖先が暮らしてきた
アメリカ西南部の土地を保留地としてあてがわれ
そこでナバホネイションという自治国家を勝ち取ります。
しかしネイティブアメリカン全般にそうであるように、
ナバホもアルコール中毒や高い失業率の問題を抱えてます。
ナバホ族の37%が貧困線を下回る生活をしている、
という統計もあります。
クリントン元大統領は2000年4月19日に
ナバホネイションで講演してますが、その中で
「ナバホネイションにおいて37%の家に電気設備がなく
約70%の家には電話がない。そして半数以上の人に職がない。」
と話してます。
そういえば、私たちがスーパーに入ろうとすると
入口の脇にしゃがみ込んだ若者が物乞いをしてきました。
クルマがガス欠になったがお金がなくて給油できず、
彼女を送っていくことができないのだと。
彼女らしき姿は見かけませんでしたが。
本当にそうなのか、私たちがどう見てもよそ者だからか。。
確かに、あたりのほとんどがナバホの人々なので
私もデイヴィッドも浮いてる気がしました。
ところでハワイと同様、ナバホの人々の暮らしも
アメリカナイズされ、ネイティブの言葉や文化、伝統が
失われてしまうことが危惧されています。
それを防ぐ目的もあるのか、ナバホネイション内でラジオをかけると
英語とナバホ語が入り交じった放送でした。
ナバホ語といえば、第二次世界大戦の太平洋戦線、つまり
日本との闘いにおいてナバホ族のコードトーカー(暗号部隊)が
米軍に貢献しました。
ナバホ語の暗号文を日本軍が解読できなかったのです。
先ほどの演説の中でクリントン元大統領は
「ナバホ・コードがなかったらアメリカ軍は
硫黄島を占領することができなかっただろう」
と言い切ってます。
ウィンドウロックの前にあるこの記念碑が
ナバホのコードトーカーの活躍をたたえたものです。
今回の旅で私たちが接したナバホの人々はみな、
とてもスウィートなハートの持ち主でしたが
暮らしはやはり、なかなか厳しそうでした。
ある露店の女性は、
「こうして直販するほうが業者に卸すより身入りがいいのよ」と。
それにしても、モニュメントバレーの立派な土産物店では
フォーコーナーズの露店で売ってるのと全く同じ品に
3倍以上の値がついていました。
どういうことでしょう・・・。
自己満足かもしれませんが、
ローカルの人たちを直接サポートしたい思いもあって
私たちはお土産類は露店で購入しました。
一番のお気に入りはウィンドウロックで買ったこの美しい壷。
ターコイズをあしらった一品ものです。
アートギャラリーに展示されていてもよさそうなこの壷を
吹きっさらしの大地に折り畳みテーブルを広げただけの露店で見つけました。
このような名もないアーティスト、
毎日凄まじい砂埃を浴びるアンテロープキャニオンのツアーガイド、
海を見たことがないという、ウィンドウロックで
ナイトハイクに連れて行ってくれた若者たち・・・
何が豊かで幸せかは彼らが決めることですが
彼らにとって住みよい環境と広い世界への扉が開くことを
陰ながら願う私です。
なお、ここに記したことは私が直接見聞きしたことに加え
以下を参考にしています。
「ナバホへの旅 たましいの風景」(河合隼雄)
「アメリカ・インディアン―奪われた大地」(フィリップ・ジャカン)
「アメリカ・インディアン悲史」(藤永茂)
「インディアンの声を聞け」(ワールド・ムック―アメリカインディアン)
「ネイティブ・アメリカン―先住民社会の現在」(鎌田遵)