<< August 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

旅から戻って

半月余りのロードトリップから戻って
早2週間が経ちました。

…というか、行ってたんです、旅に。
ブログには書いてませんでしたが f^_^;)

今回で確か5回目となる
私たちのキャンパー Om Homeでの旅。

Om Home

キャンパーでの暮らしにも随分慣れたし、
訪れるのはいつもと同じレッドロックカントリー。
(アリゾナ、ユタ、ニューメキシコ、コロラドあたり)

最初の頃は見るだけでコーフン(笑)した
メサや赤土のユニークな地形もさすがに見慣れて、
そういう意味では新鮮味は薄れた、、かな…。
(贅沢な話です。感謝。)

しかし、旅は深し!

その分、今回は心身を通した実体験から
強烈なインパクトがズシンと深く突き刺さったようです。

いつもなら、旅から得た気づきや学びを胸に
すぐに日常を新たにスタートしていたのが、
今回はいまだに心がまとまらない。

受け取ったものがあまりに大きく
その詳細も全体像も掴み切れてない感じで。


それでも日々は過ぎて行き。。


留守の間シッターさんに懐かず
痩せてしまった愛猫パンダの体重も戻りました。

私も、このスッキリしない感覚はそれとして
目の前のことに専念しようと決めました。

なぜなら、潜在意識は何を受け取ったか、すでに
しっかり理解しているはずだから。


兎にも角にも、貴重な体験をさせてくれたデイヴィッドと、
この長旅実現のためにサポートしてくれた人たち、
そして無事に旅を終えられたことへの感謝を忘れず
精進いたします。

ありがとう♡

Shadow


旅の間の個々の出来事は
少しずつブログに記していきたいと思ってます。
よかったら、お付き合いくださいね。
 

Journey U.S.A.<アメリカ大陸旅行記> 区切り 17:06 区切り comments(0) 区切り - 区切り

限られた時間を…

ずっと、記しておきたいと思いながらそのままになっていたのですが…


これは、昨春帰国した際に実家近くのお寺の門前に
掲げてあった言葉です。

Message

何かしら心に突き刺さり、Facebookでもシェアしたところ
けっこう反響がありました。


これを見た直後に義母を失いました。
89歳でした。


そして秋。
去年2度目のロードトリップ in メインランド。

予想外の寒波で進路変更を余儀なくされて立ち寄ったのが
化石の森国立公園(Petrified Forest National Park)
アリゾナ大隕石孔国定記念物
(通称バリンジャー隕石孔)。

化石の森国立公園は、およそ2億2500万年前に
この辺りに豊かに広がっていた森林が
自然現象によって石化して、
丸太の形のままの岩がゴロゴロと転がっています。

Petrified Tree

他にも、ここは一体どこの星かと思うような地形と
14世紀頃の先住民の住居跡や 彼らが残したペトログリフも沢山ある、
とても興味深いサイトです。

Trail



バリンジャー隕石孔はさらに古く、
約5万年前に直径45mほどの隕石が
この地に衝突してえぐられた巨大な穴です。

ほとんど風化することなく残っています。

Meteor Crate


この二カ所を相次いで訪れ、
長い年月をかけて石化した木に触れたり
巨大なクレーターを目の当たりにしたとき、

人の一生はいかに短いことか!

と、ガツンと頭を打たれた気がしました。

義母のように89まで生きれば
年齢的には不足はないでしょう。

でもたとえ100まで生きたとしても
経ってしまえばあっという間に違いありません。

だったら、
プライオリティを明確にして、
本当に大切なことにのみ集中しなければ!

そう強く思いました。
このことが、この旅の一番の収穫でした。


同時に、今もよく思い出すのが冒頭のお寺の言葉です。

とてもインパクトが強く、ドキッとしますが、
我を通して好きに生きていいのですよ、
とも取れるところが、少し引っかかっていました。

個人主義的の国アメリカで暮らしてみると
それまでの私の常識ではありえなかった
一部の人の自分本位のふるまいに
深く傷ついたことがあるので。

それで、
なんとなく折り合いのつかない私だったのです。

が、
旅から得た「プライオリティを絞る」ことにフォーカスするうちに
少しずつ視点が変わってきました。

プライオリティというと最初は、たとえば
「自由」とか「私らしさ」のような、
欲しい(キープしておきたい)物事や現実に
焦点を当てていました。

が、最終的にたどり着いたのは

どんな生き方をしたいか、
どんな自分で在りたいか、

でした。
どういうことかというと、

本当に納得いく人生にするには
今の私のままでは限界がある、

ということです。

余計なことを削ぎ落とすだけでは、足りない…。

メンタリティを磨いて、成熟させない限り
私の望む自由や私らしさはついて来ないことに気づきました。
^^^^^

だって、痛みをいつまでも引きずっていたら
痛みから自由になれないし、

逆に
人の痛みを顧みず自己実現に励んでも
そういう自分に痛みを覚えずにはいられないから。

だから、
限られた人生の時間を有意義に生きるには
一皮もふた皮もむけて、
成長、変容し続けることだと。

そのために精進することが
私のプライオリティだと思い至りました。


さて。
これを読んでくださってるあなたにお聞きします。

Message

再びこの言葉を見て、
あなたならどうですか?

限られた時間を、あなたはどう生きますか?
プライオリティは何ですか?

よかったらぜひ、コメントやメールブルー メッセージ 
お寄せください。



 
JUGEMテーマ:旅行
  

Journey U.S.A.<アメリカ大陸旅行記> 区切り 22:26 区切り comments(0) 区切り - 区切り

雪国と温泉とサンタフェ

寒波から逃れるようにセントルイスから西南へと
キャンピングカーを走らせました。

ミズーリ、カンザス、オクラホマ、テキサスと
1日中ドライブして、翌日ようやくニューメキシコに入りました。

ニューメキシコの北部にサンタフェという町があります。

春のロードトリップの際にほんの少し、
通り抜ける程度に立ち寄ったところです。

ヨガなどホリスティックな文化が根づいた、
私の中ではどこかボルダーと似たイメージです。

アドビと呼ばれる独特の建築様式が印象的だったのですが、
着いたのが遅くすぐに日が暮れてしまい、
今度は明るいうちにぜひ訪れたいと願っていたのでした。

今回はタイミングでよく近くまで来ていたので、
再びサンタフェまで足を伸ばすことにしました。



古い町並みの中心にあるプラザと呼ばれる一帯には
アーティストたちが露店を立ち並べていました。

特に、今ではミュージアムとなっている
旧スペイン総督府の前は多くのネイティブアメリカンたちが
ジュエリーなどを所狭しと並べている様は圧巻でした。

露店だけでなくアートギャラリーも沢山あって、
とても1日では見て回れません。

あっという間に陽が傾いてきて、私たちは
ここから1時間ほどのOjo Calienteに向かいました。


ここは日本風に言うと天然温泉というのでしょうか、
老舗スパがあります。

デイヴィッドが35年ほど前に来たそうで、
違う種類の温泉をいくつも浸かることができるのだとか。

水着を持って来てない私ですが、デイヴィッド曰く、
ここは水着を着用しなくてよいと。。

それってどういうこと?と思いながらフロントに行くと、
さすがに35年前とは勝手が変わっており、
やはり水着着用とのこと。

レンタル水着があると聞いてほっとしたのもつかの間。

周りを見渡すと私の3倍くらいの巨漢女性たちの
はち切れそうな水着姿。

もしかして、レンタル水着のサイズはあれがスタンダード!?!?

嫌な予感は当たらずとも遠からず。

とにかく一番小さそうなのを借りて、
水中ではだけないよう気をつけながら(笑)
久しぶりの温泉をゆっくり楽しみました。

温泉と言っても、見た目はプールのような感じで
ところ変われば、、、だなぁとつくづく。


身体も芯まで温まったその夜、雪が降りだして
朝にはうっすら雪景色。
そして見る見るうちに積もり始めて。。



温泉が久しぶりなら雪もまた久しぶりな私は
つい、雪遊び。

水分が少ないようで、雪だるまもうまく固まりませんでしたが
童心に帰って楽しいひと時でした。
その分、その後の雪道の運転は緊張感満点でしたが。



後からサンタフェについて調べてみると、
全米で2番目に古い町であるとか
ネイティブアメリカンとここに入植したスペイン人との歴史、
想像以上に盛んなアートの町であること、さらに
付近には他にも温泉があって、中には純和風の温泉もあるとか。

サンタフェ、なかなか奥深いようです。
今度は数日滞在するつもりで訪れたいと思います。


Journey U.S.A.<アメリカ大陸旅行記> 区切り 22:31 区切り comments(0) 区切り - 区切り

氷点下の冷たさの洗礼を受ける

初日、オクラホマシティがハワイと
変わらぬ気温で喜んだのも束の間。

それは冷え込む前兆と聞かされていたとおり、
その日の夜から急激に冷え、
木枯らしが吹き始めたのでした。

しかも週末には雪との天気予報。
なんでよりによって私たちが来るタイミングで…
と少しブルーになりながらも
まずはセントルイス郊外の親戚宅へ。

何度も訪れてる場所だけれど、季節が変わると
雰囲気も随分変わるものですね。

秋というより、初冬の「わび・さび」を感じました。


夕方、近くのKaty Trailを歩いてみると
ぴーんと頬を切るような冷たい空気。

ああこの感覚、久しぶり!
昔々のスキー狂時代によくゲレンデで感じた
空気の冷たさを懐かしく思い出しました。



あの頃はスキーのために生きていたようなもので(笑)
まさかハワイ島に暮らすようになるとは夢にも思ってませんでした。
人の人生はわからないものです。




翌朝。
なぁんと、車外に露出したパイプ内の水が凍結して
キャンピングカーの水が出ないではないですか。

幸い、親戚宅に泊まっていたので水自体には困りませんが
問題はパイプが破損してないかどうか。。。

冬の間にこういうことが起こらないよう、
水を全部抜くなど、今回は冬支度のための旅なのに
その最中に凍結して壊れてしまっては本末転倒。。

パイプを外からヘアドライヤーで温めるなどして水を融かして
ようやく水道復旧。



結局、パイプから水漏れもないようで、
どうやら無事だったようです。ほ。


夜は親戚一同が集まってくれて、
賑やかに、楽しく美味しい時間を過ごしました。






そして私たちは暖を求めて進路をとるのでした。


Journey U.S.A.<アメリカ大陸旅行記> 区切り 21:35 区切り comments(0) 区切り - 区切り

ミッション・イン・メインランド

日曜の夜にコナを発ち、ホノルル、ラスベガス、
ダラスと乗り継いで、いつものように
オクラホマシティに入りました。

これまでは頼りになる甥のところに
停めさせてもらっていた
我がキャンピングカー 'Om Home' 。

この夏彼がオクラホマシティを離れることになり、
クルマを移動させることになりました。

移動先はハワイからアクセスしやすいラスベガス。
本格的な冬の到来までにクルマの冬支度を
済ませるというのが今回のミッションです。


ラスベガス付近は快晴で、上空から
あたり一面の砂漠を、そして
グランドキャニオンもクリアに
見おろすことができました。






自然の造形の神秘を感じながら、
これからの旅で新たに何を見るのだろうかと
心が踊るのでした。


オクラホマシティに着いてみると、
ハワイと変わらぬ暖かさにびっくりするやら、
ほっとするやら。

4ヶ月ほどエンジンをかけてなかったOm Homeは
機嫌よくスタートしてくれました。

念のためオイルチェンジなど
チェックアップもしてもらって、準備万端。


その夜と翌朝はデイヴィッドの古い友人たちと
楽しいひと時を過ごし、つい長居をし。。

午後遅くにようやくデイヴィッドの故郷セントルイスへと
ほのかに色づくハイウェイを走り始めました。。。

Journey U.S.A.<アメリカ大陸旅行記> 区切り 06:55 区切り comments(0) 区切り - 区切り

モニュメントバレー

キャニオン・デ・シェイから向かう先は
モニュメントバレー。

やはり昨秋訪れたのですが、展望台から眺めただけで
間近に感じる事が出来なかったのが心残りでした。
それで、再度行くことにしたのです。


モニュメントバレーまでは私が運転していたのだけれど
この景色を見ると思わず車を停めて、パチリ。

on our way



モニュメントバレーの正式名称は
モニュメントバレー・ナバホ・トライバルパーク。

半年ぶりに訪れると、
これまで公園外にしかなかった キャンプ場が、
公園内、しかもそびえ立つビュートの真ん前に
出来ているではありませんか!

もう、ここに泊るしかないでしょう(笑)。

campground


ここでは私たちのキャンピングカーの隣に
テントを張ってる男性と知り合いました。

彼はバイクにテントを積んで世界を旅してました。
ヨーロッパを横断し、韓国からフェリーで
日本に渡り、数ヶ月旅して回ったと言ってました。

お互いに旅の情報交換をし合ったり、
日が暮れるまで話は尽きず、楽しいひとときでした。


翌朝。
こんな日の出を拝みました。
なんと贅沢なことでしょう。

sunrise

私たちが朝食をとる頃、
お隣のテントの彼はコンパクトに荷物をまとめて
次の目的地へと出発して行きました。。


そして、私たちはいよいよジープツアーで
モニュメントバレーを巡ります。

いざガタガタ道を行ってみると
ビュートの大きさもさることながら
永遠に続くかのようなこの興味深い地形、
モニュメントバレーの広さに圧倒されました。

転がる岩のサイズも半端なく。
よいしょ!

rock


そして、特に見てみたかったのが
ウィンドウロックさながらの穴の空いた岩。

ここではアーチと呼ばれているようですが
思いの外いくつもありました。

ear of the wind

デイヴィッドの笛の音が
乾いた岩に響いて耳に心地よく。

flute

そこへどこからか、ナバホがドラムを叩きながらやって来て
そのコラボレーションにはゾクゾクしました。


そびえるビュートも間近から見上げると
また別の表情を見せたり、
その足元に古代の人が残したペトログリフがあったり。

見えるもの、聞こえる音、感じるバイブレーション。
ここにこんな世界があるとは。

実際にバレーに降りてみて
初めて感じられることが沢山ありました。
ここには書き切れないくらい沢山。
再び訪れることができて、本当によかった。。


バレーから戻って、絶景を前にランチ。
心もお腹も、文字通り一杯に満たされました。
素晴らしい時間と体験に、ただただ感謝。

lunch


このあとオクラホマシティに戻るべく
コロラド経由で進路を東にとりました。


*他にも写真をこちらにアップしてます
 よかったらご覧下さい。 

Journey U.S.A.<アメリカ大陸旅行記> 区切り 10:16 区切り comments(0) 区切り - 区切り

キャニオン・デ・シェイ国定公園

ウィンドウロックから移動して、
日没直前に キャニオン・デ・シェイ国定公園に
滑り込みセーフ。


キャニオン・デ・シェイのことは
「ナバホへの旅 たましいの風景」(河合隼雄)
で初めて知りました。

ナバホの土地に金鉱があると信じていたアメリカ軍は
1864年頃、 ナバホを追い払おうと
彼らの家や果樹などを焼き倒し、家畜を殺して
そこに住めなくした。

そのとき、あくまで抵抗したナバホが身を隠したのが
このキャニオン・デ・シェイだった、とのこと。


広い谷底に流れる川と農耕地が 今も見下ろせるけれど、
当時は白人の軍に村は破壊され、
家畜も殺されて
寒さと飢えのため次々と捕えられた、と。

結局、金鉱は見つからず、
この地は何とかナバホの人たちの手に戻って
今もこの谷底で静かに暮らす人たちがいます。


そんなキャニオンの谷底から空に向かって
高くそびえる岩があるはずなんだけど。。

この渓谷、予想外に広くて、 それらしい景色に出会えない。

ああ、陽はどんどん傾いて来るし。。。

そんなとき、道端で手を上げるヒッチハイカーを
乗せてあげました。

それは谷底に住むナバホの青年でした。

彼は自作のアートを売りに毎日徒歩でやって来ていて、
谷への降り口まで乗せて欲しいということでした。

彼曰く、スパイダーロックは この渓谷の
一番奥にあるとのこと。

彼からこの渓谷に残る遺跡の話などを聞き、
彼の作品を一つ買って、

art

これから谷底へハイクダウンしていく彼に
ペットボトルの水を1本あげてお別れしました。


さて、スパイダーロック。
一番奥って、どこまで走ればいいんだろう?

辺りはどんどん暗くなり、もしかして行き過ぎてしまったか?
と心配になって来た頃、ようやく
「スパイダーロック」とサインの出た展望台に着きました。

が、もはや日は落ちて薄暗がりのなか、
多分あれがそうかな、
と シルエットを感じるのが精一杯。

本日はこれまで。
その日はこの渓谷で泊ることに。

夕食後、キャンピングカーの外へ出てみると
ため息がでるほど満点の星々。

そして、スッと流れ星☆彡

なんともファンタジックな夜でした。。


翌朝。
夜明けとともに再び展望台へ。

くっきりとそびえ立つスパイダーロック。
その向こうから射す朝陽が眩しい。

morning glow

デイヴィッドが奏でるバンブーフルートが
朝の渓谷に響いて心地よく。

resonance


昨日、あの青年から聞いた遺跡もよく見えるし。

彼の作品に描かれたのと同じ遺跡です。


ruin

約150年前の惨劇を思うと心が痛むけれど
そんなことがあったとはとても思えない
静かな朝でした。

太陽の動きとともにスパイダーロックや渓谷の表情が
どんどん変わって、いつまでいても飽きることのない
素晴らしいエネルギーでした。

ここにやって来れて、本当によかった。
感謝。


spider rock


 

Journey U.S.A.<アメリカ大陸旅行記> 区切り 17:30 区切り comments(0) 区切り - 区切り

ウィンドウロックふたたび

前回は日もとっぷりくれて探すのに一苦労した
ウィンドウロックのシンボル、窓のように穴のあいた岩も
さすがに2度目、しかも昼日中だとすぐに見つかりました。

Om Home @Windowrock

もう一度、ナイトハイキングをしてあの穴の向こうから
こちらを眺めてみたい。
この穴の上を流れる天の川を見たい…

いやいや、あの夢のような出来事は
夢のまま再現しないほうがいいのか…

と葛藤もあったけれど、残りの日数を考えると
ここで夜まで過ごすわけにはいかず。

幸いこの日も貸し切り状態だったので
静かにこの場のエネルギーを味わって
ウィンドウロックを後にしました。。。


この前の旅では時間切れであきらめた
Canyon de Chelly(キャニオン・デ・シェイ)が
ウィンドウロックから3時間ほどの所にあります。

この辺り一帯はナバホネイションと呼ばれる
ナバホ族の居留地。
(ウィンドウロックはナバホネイションの首都。)

キャニオン・デ・シェイまでの道のり。
セントルイスからここに至るまでも田舎道を走り
小さな古い町をいくつも通って来たけれど、
ここで見る光景はそれとはちょっと違ってる。。

田舎というより荒野、
建物もただ古いというより、失礼かもしれないけれど
祖末と言った方が正確だと思う。。

navajo nation

なぜかこの時のドライブは、いつもの3時間より
ずっと長く感じました。。。


日がだいぶ傾く頃、キャニオン・デ・シェイ国定公園に到着…
したはいいものの、いつもながら下調べもよくせず来た私たち。

本で見た、地面から空に向かってぐーんと高くそびえる岩は
どこにあるのだろう。
日没までに間に合いますように!

Cyanion de Chelly

 

Journey U.S.A.<アメリカ大陸旅行記> 区切り 21:32 区切り comments(0) 区切り - 区切り

西部へのつれづれ

さてメインランド滞在中、1週間時間がとれたので
大好きな西の大地へロードトリップをしました。

下の地図で、地図のほぼ中央にあるピンがオクラホマシティ、
その右上にポツンと立ったピンがセントルイスです。
目指すは西の方に沢山のピンが乱立(?)してるエリアです。

map


ちなみにこの地図は前々回の旅から上書きをしているもので
赤いピンは前回時間切れで立ち寄れなかった、もしくは
前回の旅の後、あらたに訪れたいスポットとして加わった場所。

セントルイスからはるばる西部に到着するのに
休憩しながら裏道(?)を通って2日くらいかかりました。

帰りもオクラホマシティまで戻らないといけないし。

そう思うとたった1週間では大して回れないけれど
今回は旅ができるだけでも有り難いと素直に感謝するのでした。


途中、小さな田舎町をいくつも越えていきました。
町の中心には必ず教会と病院があって 町並みは古く小さく、
そしてちょっと埃っぽい感じ。


アメリカの国土の大部分は「田舎!」なんだと つくづく。
それらしいお店も目につかず、生鮮食料品など
どこで買ってるのだろうかと素朴な疑問がわきます。

field

町と町の間は見渡す限りの広大な牧場か農地。
目立つ建物といえばビル5、6階分くらいのサイロがどーん。
さすがに、これが一杯になるほどの穀物を作ってるんだと
アメリカの大規模農業を垣間見たり。。

silo


行程とともに、心も私の中で旅をしながら
カンザス州を西南へ斜めに抜けて、オクラホマ州と
テキサス州も少し走りニューメキシコへ州へ。

それまでは一面の大平原だったのが、ニューメキシコに入ると
遠くにメサも見えて来て、西部の気配。

mesa

ちょっとした高揚感とともに、とにかく西へ、西へ。

そして、いよいよアリゾナとの州境。
前回、忘れられない思い出の地となった
ウィンドウロックから西部の旅が始まりました。。。

windowrock3


 

Journey U.S.A.<アメリカ大陸旅行記> 区切り 12:22 区切り comments(0) 区切り - 区切り

ナバホの人々

今回の旅で初めてナバホの人々と直に接しました。

これまでもナバホ、ナバホと書いてきましたが、

ナバホはネイティブアメリカンの一部族です。

コロンブスがアメリカ大陸にやって来てからの

ネイティブアメリカンと入植者との歴史は

私もまだ勉強中ですが、それはそれは

壮絶なものだったと理解しています。
 

特にナバホ族は入植者に激しく抵抗した部族の一つで、
抵抗した分、流された血もすさまじかったといいます。

結局彼らは、もともと祖先が暮らしてきた

アメリカ西南部の土地を保留地としてあてがわれ

そこでナバホネイションという自治国家を勝ち取ります。

しかしネイティブアメリカン全般にそうであるように、

ナバホもアルコール中毒や高い失業率の問題を抱えてます。

ナバホ族の37%が貧困線を下回る生活をしている、
という統計もあります。


クリントン元大統領は2000年4月19日に
ナバホネイションで講演してますが、その中で

「ナバホネイションにおいて37%の家に電気設備がなく
 約70%の家には電話がない。そして半数以上の人に職がない。」

と話してます。
 

そういえば、私たちがスーパーに入ろうとすると

入口の脇にしゃがみ込んだ若者が物乞いをしてきました。

 

クルマがガス欠になったがお金がなくて給油できず、

彼女を送っていくことができないのだと。


彼女らしき姿は見かけませんでしたが。

本当にそうなのか、私たちがどう見てもよそ者だからか。。
 

確かに、あたりのほとんどがナバホの人々なので

私もデイヴィッドも浮いてる気がしました。


ところでハワイと同様、ナバホの人々の暮らしも
アメリカナイズされ、ネイティブの言葉や文化、伝統が
失われてしまうことが危惧されています。

それを防ぐ目的もあるのか、ナバホネイション内でラジオをかけると
英語とナバホ語が入り交じった放送でした。

ナバホ語といえば、第二次世界大戦の太平洋戦線、つまり
日本との闘いにおいてナバホ族のコードトーカー(暗号部隊)が
米軍に貢献しました。
ナバホ語の暗号文を日本軍が解読できなかったのです。

先ほどの演説の中でクリントン元大統領は
「ナバホ・コードがなかったらアメリカ軍は
 硫黄島を占領することができなかっただろう」
と言い切ってます。

ウィンドウロックの前にあるこの記念碑が
ナバホのコードトーカーの活躍をたたえたものです。

code talker

 

今回の旅で私たちが接したナバホの人々はみな、
とてもスウィートなハートの持ち主でしたが

暮らしはやはり、なかなか厳しそうでした。
 

ある露店の女性は、
「こうして直販するほうが業者に卸すより身入りがいいのよ」と。

それにしても、モニュメントバレーの立派な土産物店では
フォーコーナーズの露店で売ってるのと全く同じ品に

3倍以上の値がついていました。

どういうことでしょう・・・。

 

自己満足かもしれませんが、

ローカルの人たちを直接サポートしたい思いもあって

私たちはお土産類は露店で購入しました。

一番のお気に入りはウィンドウロックで買ったこの美しい壷。

ターコイズをあしらった一品ものです。

アートギャラリーに展示されていてもよさそうなこの壷を
吹きっさらしの大地に折り畳みテーブルを広げただけの露店で見つけました。


navajo art


このような名もないアーティスト、
毎日凄まじい砂埃を浴びるアンテロープキャニオンのツアーガイド、
海を見たことがないという、ウィンドウロックで
ナイトハイク
に連れて行ってくれた若者たち・・・


何が豊かで幸せかは彼らが決めることですが
彼らにとって住みよい環境と広い世界への扉が開くことを
陰ながら願う私です。



なお、ここに記したことは私が直接見聞きしたことに加え
以下を参考にしています。

ナバホへの旅 たましいの風景」(河合隼雄)
アメリカ・インディアン―奪われた大地」(フィリップ・ジャカン)
アメリカ・インディアン悲史(藤永茂)
インディアンの声を聞け」(ワールド・ムック―アメリカインディアン)
ネイティブ・アメリカン―先住民社会の現在」(鎌田遵

 

Journey U.S.A.<アメリカ大陸旅行記> 区切り 00:30 区切り comments(0) 区切り - 区切り

区切り 1/6Pages 区切り >>